佐賀県の情報

佐賀水道チーム

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水道の修理方針

九州地方の北西部に佐賀県は位置していて、県庁所在地は、佐賀市にあります。北は玄界灘、南は、有明海に接しています。筑紫平野は、九州一の平野で二毛作による米や穀類の生産がなされています。有明海に面する南部は、灌漑や排水のために作られたクリークと呼ばれる水路が縦横無尽に設置されていて、農地を潤す重要な役割をしています。また、海苔も有名な産物となっています。干満の差が激しい有明海では、江戸期より干拓が盛んに行なわれ海苔の生産では全国的にトップシェアを誇っています。西部では有田焼や唐津焼といった陶磁器の産地が多くあります。


佐賀県の地名由来
件名は、県庁所在地の佐賀市に由来しています。県庁所在地は、佐賀市。この地名は、古来、郡名として用いられていて、「風土記」で「佐嘉」と表記されています。「佐賀」の地名の由来は、下記のとおり諸説が多々あります。
1.「砂洲」「低湿地」を意味する「スカ」が変化し、「サガ」になったとする説。
2.「サカ(坂)」が濁音化して、「サガ」になったとする説。
3.郡の中心部に大きな楠木が茂っているのを見た日本武尊が、「この国は栄の国と呼ぶがよい」と言ったとされ「肥前国風土記」の記述に由来し、「栄」が転じて「サガ」になったとする説。
4.「サカ」が濁音化し、「サガ」になったとする説。※ 佐嘉川の河口付近は、満潮時に潮流が逆流する逆流水域で、「逆流する川」の意味で「さか川」となり、「佐嘉川」に転じた後、この地域を佐賀と呼ぶようになることが十分に考えられ有力な説とされています。


佐賀県の歴史
佐賀県は、日本海に接していて航路や地理的条件によって、古くから大陸との交流が盛んに行われていたと「魏志」倭人伝にも記述が史実として記載されています。最大規模の集落跡を誇る吉野ケ里遺跡は、邪馬台国との関係があったと言い伝えがあり、日本の歴史を紐解く重要な遺跡と位置付けられています。また、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に拠点である名護屋城が築かれ、この際に朝鮮半島から連れ帰った陶工たちにより有田焼や伊万里焼が製造されたと言われています。



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